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2012年2月16日 (木)

石匠館を訪ねる

今回の歌ここ

熊本には全国に誇れる「石橋文化」がある

その資料館「東陽 石匠館」を訪ねた

     (地図&写真&ファイルを削除20130714)  

この建物は、くまもとアートポリス建築物であると

  パンフレットに書いてある

入場料300円で入館者只一人の私の為に

  終戦の年は中学生だったと言う多分館長さんであろう方が、

  ご本人さんの手作り資料も使いながら、

  懇切丁寧に色んな案内や説明をしてくださった

①そもそもこの地八代市東陽町は、平成の大合併前は、東陽村といい

  更にその昔は種山村と言っていた

②古文書等によると、熊本の石橋の歴史は、

  西暦1760年頃まで遡れ、「種山石工」の名が生まれた

  熊本・大分の手作り石橋年表も作っておられた

③九州地図に1300ケを超える現存石橋や移設撤去等の石橋位置を

  これも手作りで色分けプロットされていた

  道路地図2冊を切り貼りしての手作り大型マップがこれ

     (地図&写真&ファイルを削除20130714)  

     (地図&写真&ファイルを削除20130714)  

  因みに 館内撮影禁止となっていたが・・・内緒でパチリ

  大分県・鹿児島県・熊本県がベスト3であるらしい

④この3県には、加工しやすい(軟らかい)岩石「溶結凝灰岩」が多かったからである

  溶結凝灰岩とは、火山の大噴火で噴出された火山灰等が石化したもので

  大分・熊本は、9万~30万年ほど前の阿蘇山噴火による、

  鹿児島は、大昔火口であった錦江湾カルデラの噴火による

  と言う事は、火山がなければ、これらの石橋文化はなかったのである

  因みに長崎の眼鏡橋等は、硬い花崗岩で作られている

  ここ石匠館の外壁も溶結凝灰石なのだそうである

⑤そもそも石橋の起源は

  メソポタミア文明時代の日干しレンガ製まで遡るらしく

  それが進化しながら、中国やヨーロッパを経由して伝来したものらしい

石の生い立ちと云い、伝来といい 壮大な浪漫である

力石=石工がからだを鍛える為に使った120Kgの石

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   勿論 私は持ち上げる事は出来なかった

石橋を作る方法=支保工法と言う

     (地図&写真&ファイルを削除20130714)  

等々微々細々の説明をして頂いた後 町内の石橋探訪を行なった

ビデオ化写真でご覧あれ

 (地図&写真&ファイルを削除20130714) 

因みにここ東陽町は、

ソフトバンクホークスの秋山監督の出身地の隣町である

 (地図&写真&ファイルを削除20130714)

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