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2016年7月15日 (金)

郷土史での先祖探し(その1)

福岡県飯塚市立図書館を訪ね

Cimg9478

 郷土史の閲覧をした

①稲築町史(父方の本籍地:稲築町大字漆生)  

Cimg9474

 上巻 全469頁

 下巻 全708頁

  共に 平成16年3月発行

②稲築町誌

Cimg9473

 全826頁 昭和48年3月発行

<解った事>

  ・地名の由来:

   3世紀初頭、三韓征伐を終えた神功皇后

    息子である応神天皇とともに都に帰る際、

    この漆生に寄った。

    慌てふためいた村人は

    座布団の用意も間に合わないので、

    獲れたばかりの稲を敷いて築いた座敷でもてなした

    という伝説かららしい  

  ・漆生古墳群があることから縄文時代以前から

    人が住んでいた。

  ・大宰府官道が通っていた

    (官道とは、古代律令制国家においては、

     中央と地方機関を結ぶために整備した道)

    「山上憶良が筑前守時代に、

     この地で詠んだ歌があり、

     石碑も建てられているんだと・・・

  ・宇佐神宮(大分)の荘園 → 大友氏が略奪 

  ・一時期 秋月家(筑前土着の豪族で、

    八丁峠を越えて進出)の支配下

    母は この秋月の地の出である・・・

  ・豊臣秀吉の九州統一後 黒田氏が統治

  ・漆生用水:現存する1618年灌漑用水工事を実施

  ・「漆生長政記」という記録書があるらしい

  ・漆生騒動という事件があり、

    庄屋だった○○○善次という人が書いた記録がある

   小生の高祖父母に○○○善六という名前があるが、

    関わりは不明のまま

    ○○○善六の子(長男)○○○平太郎(曾祖父母)が

     1861年生まれなので

    ○○○善六は1830年頃生まれだとすると 

    まだ江戸時代で庄屋制度が存在していたが・・・

因みに

 1889年(明治22年)七村が合併して 稲築村

 1941年(昭和16年)に稲築町となったんだそうな

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